2013年 東京上級 第5回 (2013.10.16)

24時間心有りであり続ける   東京 グラフィックデザイン 40歳 男性 YA

 いつも熱心にご指導いただきありがとうございます。
 エントロピー増大の法則を防ぐ方法は情熱を持ち続けることとおっしゃられたことがとても心に残りました。日々の生活や仕事ではいろいろなことがあり、一つ一つの事に心を奪われるとついつまらないことに執心したり、くよくよしたりしてしまいます。そしてつまらない言い訳をしてみたり低いレベルの中で自分を取り繕うことをしてしまいがちです。エントロピーが増大してしまっている状態です。しかし、自分を高めるという生き方に変えると一つ一つ別々だったことがすべて一つとなり自分の修行になります。情熱で温度が保たれている状態だと思います。情熱を持って生きるということを伺ってから私は「愛情をもって行っているか否か」を問うようになりました。
 自分から行動する自発的な行動はもちろん、頼まれごとをする時も「愛情をもってやる」と決めるとスッと自分の中に落ちてくる感じがして気が進まずにやるより全然楽に行える感覚になります。そのかわりそうすると中途半端になると気持ちが悪くなるので「やるからにはとことんやる」という気持ちになります。そうすると自分は随分と心無くいろいろな物事をしているのだということがわかりました。心無く物事を行っている時は呼吸が通ってない感じがして苦しいです。

 24時間修行をするということは24時間心有りであり続け、24時間呼吸の通った状態で過ごすことになのかと今は思っています。心有りの状態だと同じことをしていても余裕がある感じがします。視界が広く、中心が濃い感じです。心無しだと余裕がなく感覚がボーッとします。
 物理的、金銭的、環境的な余裕はもちろん大切ですが、いざ、それらを失うような、まさかの事が起こったときに心有りの状態の時の自分のでいられて余裕を作り出すことができれば過剰に動揺することなく過ごせるのではないかと感じます。そのためにも日頃から危機感を持って過ごし、常にあすなろうの気持ちを忘れることなく自分高めることに励む所存です。
 どうぞ今後とも厳しくご指導いただきますよう、よろしくお願いします。

 

気の実践で心のエンジンが爆発したよう   東京 会社員 35歳 男性 KA

 仕事で壁にぶつかるとそこで悩み、次の一歩が踏み出せない。
 もしくは会社の内外の相手とぶつかり、抵抗にあったときなど負けそうになる自分がいます。
今回もそういう気持ちを抱えたまま、道塾の講義に参加したのですが、宇城先生のお言葉の一つ一 つを真剣に聞き、また先生に気を通していただいて技を実践していくと、心にあたかもエンジンがあって、それが点火し爆発しているような不思議な感覚になりました。
 それは心が動かされて、身体が熱くなり、エネルギーがふつふつと湧いてくるような感覚でした。
 そうなると、講義に来る前にあれほど悩んでいた心配が吹き飛び、明日からは問題から逃げずに真向から勝負しよう、という確信のようなものが出てきました。
 宇城先生にはこのような魂を通した励ましをいただき、感謝の念に堪えません。
 社会人である以上 、戦いのような毎日ですが、困難から逃げずに正々堂々と戦っていこうと思います。

 

気の通った人間の身体とはこれほど素直!   東京 通訳 52歳 女性 KM

 今回は、「身体は内なる気に応じて動き、気は心の向かう所に応ずる」を、これまでよりさらに解りやすい形で体験させていただきました。

 なかでも、強く印象に残った演習が2つあります。
 1つは、二人組みとなり、一方が相手を背後から抱え上げた際、抱えあげられた側が自分の進みたい方向を思い浮かべるだけで、抱え上げている側が自然とその方向に動く、というものでした。
 私は抱え上げられる側だったのですが、「前へ進みたい」と思った途端にパートナーの方が前方向に移動しはじめ、「今度は右へ」と思えばすぐに右へと移動しはじめました。

 もう1つは、相手の脇に立って、突き出された片腕の手首のすぐ上あたりを手の平で軽く触れるだけで、相手を手前に引き寄せられるというものです。
 この演習では実際に宇城先生が私の腕に触れてくださり、私の身体は軽く触れておられるだけの先生の手の平に導かれるように、抗う間もなく前後、左右にとすばやく移動しました。その際は、腕が引っ張られているという感触は全くなく、身体全体といいますか、私の身体が1つのエネルギーの塊となって、まるでドリブルされているボールのような感覚で前へ、後へと脚がもつれそうになるほどの速さで振り回されていました。

 上記の演習を通して感じたのは、「気の通った人間の身体とはこれほど素直なものなのだ」ということです。
 ごく自然に、何の抵抗もなく、ありえないことが起こっていました。普段の自分を省みますと、相変わらず行動に移す前に無駄にあれこれ考えて逡巡したり、目先の損得を考えたりして素直に実行に移せないことが多々あります。
 まさに、心が閉じ、曇っている状態で頭だけで行動しようとしても、身体はついてこない状態です。

 一方、気を通していただいた時は、頭で考える以前に瞬時に細胞が心をキャッチして身体が動くこと、その際はなんとも形容し難い嬉しい気持ちが湧いてくることを体感させていただきました。
 ほんの一瞬でも、気が通されることで本来の完成形として機能できると、身体全体がその開放感を味わい、細胞レベルから活性化され、喜びを爆発させていることを実感できました。ということは、もしかすると、普段の部分体の状態は身体にとって非常に不自然な状態であり、息が詰まって窒息しそうな状態であるのに、余りにも鈍感になっているため、そんな大変なことまで気づけない自分になってしまっているのかもしれない、もっと身体の発する声に敏感になりたい、と思いました。

 演習のさなか、塾生に一言一言を打ち込むようにして先生が仰有られた、「行動することでしか心は育たない」という言葉を深く胸に刻み、日々の振る舞いに照らし合わせ、自己を戒めてまいります。
 そして一日も早く、一瞬でも気の通る自分に成長できるよう、行動を通して心を育てる実践に努めたいと思います。

 

先生の言葉一つ一つが胸に刻まれた   埼玉 飲食業 39歳 男性 K.K

 前回の道塾での先生のお言葉で心に残ったのは

 「あなたにとっての未来は私には過去である」
 「あなたにとっての10年は私には1年でしかない」 というお言葉でした。

 ホワイトボードに書いてある時は何が何だかちんぷんかんぷんでしたが先生は丁寧に説明してくださいました。
 それは三方向の未来(Aは上昇、Bは現状維持、Cは下降)で現地点でいつ、気付き行動するかで未来は変わるとの事でした。
 早い段階(A地点)で行動すれば上昇、遅い段階(C地点)で行動すれば下降しどん底で終わる事がA地点で行動し、下降してもまた、這い上がれるとの事でした。
 ある科学者は「時間は流れている」という感覚は幻想だと説いてますが自分は詳しい事は分かりませんが人によって時間の差はあると思います。例えば電車の中で即座に年配の人に席を譲る人は早いし、躊躇してる人は遅いです。
 その差は何か?それは心=愛だと思いました。
 損得を考えてる人(欲深い)は止まっています。愛とは行動であるといいますが心無しの行動は遅いです。(それが震災復興に現れていると思いました。)
 何故、その様になったのか?それは我々がすぐに調子に乗る、ハウツーで答えを知ろうとする事ではないかと思いました。多くのスポーツ選手がチヤホヤされて調子に乗りどん底まで落ち、犯罪に手を染める。まさにその典型だと思いました。しかし、先生はそうならない事を教えて頂きました。それはスポーツならスポーツを「スポーツ道」に昇華させる事だと仰って頂きました。
「進歩成長とは変化することである。
 変化とは深さを知ること。
  深さを知るとは謙虚になること。」
先生が常々仰ってるお言葉です。
 今回も先生のお言葉一つ一つが胸に刻まれました。自分も自分の人生を人生道に昇華させる為に焦らず、奢らず、侮らず日々を過ごして行きたいと思いました。
 今回も貴重なお言葉ありがとうございました。

 

重力について、頭での理解ではなく身体でわかる   千葉 会社員 44歳 男性 Y.T

 「創造と破壊」という講義の中で、バリアフリーの話が心に残りました。
 ある養護施設にはバリアフリーと呼ばれる設備が無い。外に出た時に困らぬよう日常生活から自立出来るように補助具は設置しないとのこと。素晴らしい発想だと思いました。
 自分自身、左膝の半月板を損傷した際にスプリングコイル付きサポーターを医師に薦められて装着していましたが、日をおうごとにサポーターを外すのが怖くなるのです。外すと安定感が無くて、致命的な怪我をしてしまいそうで不安になりました。これはまずいと感じて徐々にサポーターを外す時間を増やしました。先生に気を通していただいたこともあり、その後は順調に回復いたしました。

 養護施設の問題は、バリアフリー施設が無ければ補助金は出ないということ。バリアフリーの設備を付ければ補助金はだすけれど、自立を考えた施設(介護者の負担は大きい)には補助金が出ないというのは本末転倒な気がします。
 慣例や画一的な規則に従って、本来の目的から離れてしまうものが多いことにとても残念な気持ちになります。やはりそこに「心」が無いというのが一番の原因だと感じました。
 原発やトマト農家の例も同様に思考の癖から飛び出さなければ新しい発想は生まれないし、慣例を壊そうとすれば大きな抵抗があるということが良くわかりました。
 心ありの生活。自分に利するのかどうかよりも、それが正しいのかどうかで行動できる人間になりたいと強く思います。

先生は講義の中で以下の文を引用されました。
―今まで重力だと思っていたものの正体は、質量をもつ物のまわりの空間に生じた“何らかの変化”だと考えた。そしてその空間の変化が、次々と空間を伝わっていくと考えた。物と物が直接力をおよぼしあうのではなくて、ある物がつくった空間の変化(「重力場」という)が別の物に影響をおよぼすのである。―

 この文を読んで、その意味を理解するのは相当難しいと思います。
 宇城先生から指導を受けていたからこそ、言葉に置き換えるとこうなのだと思うことができました。実践による指導は頭での理解ではなく身体に答えを教えてくれます。
 先生から空手の指導を受けていらっしゃる実践塾生に頸椎の手術をされて、脳と神経が上手くつながらなくなり痛みすら感じない状態になってしまった方がいるというお話を伺いました。
 医師からリハビリをしても、良くて松葉杖か車椅子と言われた塾生に、宇城先生がおっしゃったのは「完全回復」です。

 先生の言葉には愛と希望があります。痛みを感じないはずの身体に「気」を通してツネると「痛い!」と感じる。リハビリをして物を持てる状態になった時、どうしても開けなかった扇子を「サンチン」でやってみろと言われたら開くことが出来た。
 細胞はきちんと覚えていて動かすことが出来るということが身を持って証明されたその方はどれだけの希望と勇気をもらえたことでしょう。
 自分が頭の手術をする際、お寺で座禅を組ませていただいたことがあります。不安を取り除くことが出来るかもしれないと思ってのことでしたが、やはりインスタントに座禅を組んでも変わることがありませんでした。
 それよりも道塾や実践塾の皆さんから見守っていただいた事、祈っていただいた事によって大丈夫だという安心が感じられたほどです。
 先生の指導は答えが先にあり、その意味を後から気づかされます。身体は知っているということ、それに気づくのは自分自身なのです。
 先生から教えていただいた「踵から入る歩き方」でサンチンをやろうとすると何だか不自然な動きになってしまいました。そのことを道塾の先輩に話したところ、「日常生活の歩き方を変えてゆく中でその感覚を体に落とし込み、それをサンチンにフィードバックすることではないでしょうか?」と言われました。そういうことかも知れないと納得すると同時に、物事をハウツーで考える自分の横着さを恥ずかしく思いました。
 道塾には素晴らしい先輩が沢山いて色々なヒントや気づきを与えてくれます。とても良い連鎖があって素晴らしいことだと思います。間違えたり失敗したりしながらフォローし合える仲間と共に先生に学ぶことのできる道塾に参加させていただけるだけで気が満ちてくるように感じます。
 本当にありがとうございました。

 

逃げずに挑戦し続けます   栃木 会社員 58歳 男性 H.M

 後1年足らずで会社が定年となります。定年が近づくにつれ、もうすぐ定年なのだからそんなに仕事を持ってこないでくれという、何処か逃げ腰な自分がいました。
 そんな時、宇城先生のエントロピーのお話に我を忘れかけていた自分に気づかされました。「85℃のコーヒーはそのままにしておけばいずれ常温の25℃になってしまう。25℃になったコーヒーは85℃には戻れない。」この言葉が私の心に突き刺さりました。
 これから熱いコーヒーが冷めないよう、逃げないで前向きにあらゆることに挑戦し続けて行きます。

 

アインシュタインの理論を、体験・実践する   埼玉 会社員 52歳 男性 T.T

 今回はマインドコントロールをテーマに様々な体験をさせていただきました。
 マインドコントロールとは外因によって洗脳されるのではなく、自らの横着の中で産み育ててしまった思考と身体・行動の癖であり、脳の命令が心を制御し、正に「心ない行動」を身体に強いている状態のことと理解しました。
 その状態が「卑怯な振舞い」を理屈で肯定し、本来あるべき調和の世界を破壊しているのだと思います。そのことを宇城先生は私たちに身体を通して体感させていただきながら、「利他の心で行動するととんでもない力が出る」という希望に昇華できるように進むべき答えを指し示してくださいました。 

 アルバート・アインシュタインが遺した理論を現代の最先端を行く科学者達が少しずつ解釈を重ねる中で、宇城道塾のこの空間ではそれを自らの身体で実践し続けています。 
 心の発動からの身体の経験を知識として脳に貯めるという道筋こそが本来であり、脳だけで解釈して得た知識で体を動かすことに無理がある。だから弱くなる。 
 オープンで、逃げない。自分の殻に閉じこもらない。人のせいにする前に、人のために働く自分の背中を見せていくのが、ひとり革命。
 「卑怯を恥とし、正々堂々を誇りとす」現代において、いささか埃のかぶった感のあるこの言葉の真実をとらえ、自らの思考と行動の癖を正していけるよう、この気付きを大切に育てていきたいと思います。